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■ 小田急振子試験車三種類






2004年に新造された最新鋭ロマンスカー・VSE。
HiSE車以来久々の復活となった前面展望室や凝った内装を売り物に小田急の
看板電車といった雰囲気で活躍中ですが、技術面でも新しい試みが見られ、その一つに振子装置の採用があります。
この振子装置は、皆様ご存知と思いますが曲線通過時に車体を内側に傾ける事で曲線通過速度・乗り心地の向上を
図るというもので、現在ではJRの特急列車などに広く使われていますが、はるか昔、昭和30〜40年代には小田急でも
この振子電車の試験が繰り返し行われ、個性的な外観の試験車が見られました。

このページでは、昔々の小田急に存在したその振子試験車について模型写真を交えてご紹介させていただきたいと思います。
管理人自身、実際に見たり撮ったりしたわけではなく、また当時の資料も豊富ではない為、熱心な小田急ファンの方々には
やや物足りない内容かもしれませんが、私なりに出来る限り詳しくまとめてみたいと思いますので、是非ご覧下さい。

なお、掲載した模型についてのページは展示室にて公開しています。





画像はクリックすると拡大できます。
昭和36年(1961年) 第一次振子試験車

更新で不要となったデユニ1000形の旧車体(更新に伴う車体の
動きは下に掲載の図をご参照下さい)を利用して製作された
連接構造の
空気バネ式自然振子車で、ご覧のように妻面に
筒状の機器(振子装置?)が取り付けられ、車体外側に台車と
デッキを備えた奇妙な外観となっています。
この台車は当時の最新鋭通勤車である2400形HE車のクハが
使用していたFS30を改良した“FS30X”というもので、
(模型では都合により大まかな形が似ている東武用のFS356を
使っています)試験終了後は一般仕様に改造の上、
クハ2482(2481F 昭和37年7月竣工)に使用されました。
ただ、他のクハが使用していたFS30と見比べると
軸箱上や台車枠の端などの細部がやや異なっていたようです。

パンタグラフの取り付け方も独特で、鉄骨(?)によって
組み立てられた台座が国鉄のEF57のように車体前方へ
飛び出ています。なお、実車のパンタはホーンが一本のタイプです。
パンタなし側の様子。当時の写真ではパンタなし側からの写真が
大変少なく、ごく一部のみが写っている写真から推測して製作
したため多少違っている部分もあるかもしれませんが、
振子装置やデッキはパンタ側とほぼ同様のようです。
デユニ1000形車体更新関連での車体の動き

帝都電鉄モハ208/クハ502  デハ1501/クハ1551  (昭和35年車体載せ替え・1900形編入)  デハ1914/クハ1964
                                         (旧車体流用)
昭和2年製造 モニ1   (中略・デユニ1000に)   →   (昭和35年車体載せ替え・1500形の車体に)   (新)デユニ1000デニ1000
                                         (旧車体流用)
                                  (昭和36年振子試験車製作・デユニ1000の旧車体流用)
昭和37年(1962年) 第二次振子試験車

デニ1101を使用した油圧式強制振子車で、
CI車(Curve Inclination car)と呼ばれました。
台車の枕バネ部分に油圧作動筒を装備し、これによって
強制的に車体を傾けるというもので、世界初とする資料もあります。

外観的な変化は少なく、前述の通り台車に改造が加えられ、
更に前面を伝って屋根から床下への配線が引かれているくらいです。
パンタ側の様子。第一次試験車とは逆に、パンタ側の
写真が中々見つからなかった関係でこちら側は推測で作ってあります。
一応パンタなし側と同様に配管を引いてありますが、
これで正解かどうかは「?」です。

試験終了後は一般の荷物電車に戻り、細かな改良を重ねて
昭和51年(1976年)まで活躍しました。
昭和45年(1970年) 第三次振子試験車

昭和45年に引退した1600形のクハ1658を使用して
製作された空気バネ式強制振子車で、住友金属製の
空気バネ台車・FS080と三菱電機製の自動振子制御装置を
装備しています。台車自体は平凡な空気バネ台車で、
この空気バネに空気を送り込む事によって車体を傾ける
というものです。この関係で床下には空気溜めが増設されました。

車体は大野工場のクレーンで向きを小田原向きに変えたほか、
連結面の貫通路の幅を狭く改造し、更に塗装をブルー一色塗り
(通勤車の帯の色と同じ)にしたもので、形自体は営業車時代と
あまり変わりません。

この車両はORPT試験車と呼ばれ、側面の窓ガラスには
貼り紙がされていたようです。
昭和45年(1970年)から翌年にかけて試験が行われ、
その後は長らく大野工場に留置されていましたが、
昭和51年(1976年)に廃車されました。
連結面の様子。
前述の通り貫通路の幅が狭くなっているほか、
動力車との連結用なのかジャンパ栓が取り付けられています。
走行時の編成
第一次試験車

FM車のユニットを切り離し、真ん中に試験車を挟んだ編成で
走行しました。資料写真
(*1)を見た限りではユニットを切り離している
(試験車を挟んでいる)編成は2217Fで、後ろに更にFM車(2200?)を
一編成繋いだ編成のようです。
2217Fのユニットは試験車を挟んで切り離されてしまいましたが、
ジャンパケーブルを通じて繋がっており、電動車として走行
したそうです。
第二次試験車

こちらは元々単行運転の出来る電動車を使用しているため、
試験走行時も単行での運転だったようです。
第三次試験車

第一次試験車に続き、再び自走のできない車両となったため、
FM車に押してもらう格好だったようです。詳細な編成は不明ですが、
僅かに動力車が写っている写真を見た限りでは貫通型先頭車
だったようです。動力車が何両であったかは不明です。

なお、第一次・第二次試験車はどちらも日中に本線上を走行する
様子がそれぞれ資料
(*2)で確認できましたが、この第三次試験車に
関しては写真は圧倒的に留置中の様子を捉えた物が多く、唯一
発見した試験走行中の資料写真
(*3)は、夜(終電後?)撮影
されたもののようです。




カーブをゆく新型ロマンスカーVSE。
第三次試験車であるクハ1658以来、30数年の時を経て実現した小田急の振子電車ですが、
次につくられるロマンスカーはどうなるのでしょうか・・・。


★ 参考資料

*1 多摩湖鉄道出版部刊 「小田急電車回顧」第3巻 P54
*2 第一次試験車:*1と同じ
  第二次試験車: ネコ・パブリッシング刊 「復刻版私鉄の車両2 小田急電鉄」P126
*3 鉄道図書刊行会刊 「鉄道ピクトリアルアーカイブスセレクション2 小田急電鉄1960〜70」P81


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